琉球舞踊
第一部 19:00〜19:30 (5曲)
第二部 20:00〜20:30 (5曲)
※第一部と第二部の内容は異なります。 ※演目は毎日変わります。
第二部終了後、お客様のカメラにて舞台の上で踊り子との写真撮影ができます。
琉球舞踊とは
現在の沖縄県内を中心に継承される舞踊の総称で、18世紀頃から琉球王朝時代に琉球王やその国賓の前で踊られた古典舞踊(宮廷舞踊)と、明治以降に庶民の風俗や習慣を題材にして生まれた雑踊に大別されます。琉球舞踊は一定の歌詞に振付がなされ、衣装もほぼ決まっています。また、基本姿勢や動きの中には空手と通じるところも多く、優れた踊り手には空手の心得のある者が多かったようです。音楽が始まると踊り手は舞台の下手(左側)より登場(出羽)し、中央で踊り(中踊り)、終えると下手に戻り(入羽)ます。これは、琉球舞踊がお座敷で踊られていたことに由来するもので、宴の席でお食事やお酒を味わいながら踊りを愛でるというのが本来の楽しみ方でもあります。
琉球舞踊はその格式の高さにより2009年に琉球舞踊は国の重要無形文化財に指定されました。
古典舞踊は、中国皇帝の使いである冊封使をもてなした為御冠船踊りとも言われ、踊り手は踊奉行に任命された士族男性のみで、王府の庇護のもと発展しました。踊りの役柄や特色により「老人踊り」(おめでたい踊り、子孫繁栄や長寿を主題;「かぎやで風」など)・「女踊り」(愛情を主題;「四つ竹」など)・「二才踊り」(青年の踊り、五穀豊穣を主題;「上り口説」など※二才踊りは薩摩の在藩奉行の前で踊られていました。)・「若衆踊り」(元服前の少年の踊り、予祝を主題;「若衆ゼイ」など)などに分かれます。紅型や赤足袋など華やかな衣装や荘厳な衣装を着用したものも多く、優雅で美しく舞います。
一方の雑踊りは、1879年琉球処分により、琉球王朝の崩壊とともに禄を失った舞踊家たちが、街に出て民衆を相手に芝居小屋での興行を営むようになり発展しました。古典舞踊で用いられた繁栄や発展といった題材やきらびやかな衣装とは対照的に、男女の愛情や、豊作豊漁を願ったもの、故郷の情景を思い描いたものも多く、衣装も芭蕉布や絣といった、庶民の生活で使われたものを取り入れています。「老人踊り」「女踊り」などの区別なく何でも取り入れたところから「雑」踊りと呼ばれるようになったと言われています。生き生きとして自由でリズミカルな演目が数多く生まれ、また多くの人々を魅了し、踊り継がれていきました。戦後には多くの女性舞踊家も誕生しました。
琉球舞踊の特徴として、コネリ(手をこねるようなしぐさ)やナヨリ(なよやかな体の動き)が琉球最古の歌謡集「おもろさうし」に記されています。また、腰を落とし、すり足で歩く足さばきには、日本の伝統文化である能の影響も受けたのではといわれております。
うらしまの琉球舞踊
うらしまでは、古典舞踊から雑踊りまで幅広い演目を毎日10曲お楽しみいただけます。沖縄の地方紙である琉球新報社の琉球古典芸能コンクールにおいて、新人賞以上を獲得した優れた踊り手にのみステージに立っていただいています。現在のうらしまの踊り手のほとんどが最高賞までを受賞したプロの踊子です。洗練された指先や足先の所作、重心の運びや目線の動きなどにもご注目ください。
- かぎやで風
- 上い口説
- 貫花
- 繁昌節
- 加那ヨー天川
- 四つ竹
- 鳩間節
- 谷茶前
- 花風
- 大漁節
- 太鼓ばやし
- 日傘
- 黒島口説
- 海のチンボーラー
- 祝賀の舞
- 獅子舞
かぎやで風(嘉謝伝風節)
古典舞踊・老人踊り
琉球古典音楽のなかで、最もめでたいとされる「御前風」5曲の中でも最高峰であり、国王・国賓の前で踊るにふさわしい荘厳な踊りです。御前風はほかに「恩納節」「長伊平屋節」「中城はんた前節」「特牛節」がありますが、「御前風」=「かぎやで風」とも言われるほどです。現在においても、祝宴や音楽会などの幕開けには欠かせない踊りです。
「かぎやで風」の名前の由来には諸説ありますが、最も有力な説として語り継がれているのは、鍛冶屋伝説です。金丸という青年が、伊是名島から追われ漂着した国頭村奥間の海岸で、鍛冶屋の男に「将来大人物になる」と助けられました。その後、金丸は第二尚氏の始祖・尚円王となり、奥間鍛冶屋を国頭按司(日本の宮家に相当)にとりたてました。その際に鍛冶屋が即興で詠んだ琉歌がかぎやで風節の筆頭の「あた果報のつきやす 夢やちやうん見だむ かぎやで風の作り へたとつきやさ」(こんなに大きな果報がつくとは夢にも思わなかった。鍛冶で鍛えられる鉄のように(果報が)べったりとくっついている)だったといわれています。現在一般に踊られているのは「今日の誇らしゃや 何をにぎやな例る 蕾でおる花の露来ゃたる如」(今日の嬉しさは何に例えよう。まるで蕾が朝露を受け花開いたかのようだ。)という歌詞で、こちらは1556年に新城親方安基が、虚弱だった王子尚元を、周囲の反対を押し切り王位につかせた際の喜びを詠ったものと言われています。
上い口説 古典舞踊・二才踊り
琉球王の使者が、江戸上りで薩摩に向かう船旅を表した踊りです。歌詞の中では、首里の観音堂で旅の無事を祈り、港への道すがら家族知人との別れのつらさに涙をこらえ、いざ出港し、小さくなってゆく岬や島々、数々の難所も乗り越え薩摩の桜島が見えてくるまでの情景を詠っています。踊り手は扇子を2本持ち、勇壮に踊ります。
谷茶前 雑踊り
沖縄本島の西海岸、恩納村にある谷茶の浜で、男は魚を捕り、その魚を女が売りに行くといった漁村の村人の生活を軽やかに表現しています。衣装は芭蕉布で、男は櫂(ウェーク)を、女はざる(バーキ)をそれぞれ手に持ち、生き生きとした生活の様子がうかがえます。発祥の地である谷茶の海岸には現在でも歌碑があり、知名度の高い演目です。歌詞は「谷茶の浜にキビナゴが寄って来たよ あれはキビナゴじゃないニシンだよ 男たちはそれを捕り 女たちはそれを売り歩く 売って戻ってきた女たちのいい匂いよ」と歌っています。
鳩間節 雑踊り
沖縄本島の南西に位置する八重山諸島にある鳩間島の豊かな自然を思い描いた歌です。本来の鳩間節は緩やかなテンポで踊りも静かなものでしたが、大正時代の名優・伊良波尹吉が、日本舞踊の「かっぽれ」を取り入れ、賑やかで軽快な踊りとして踊り継がれています。ただ、鳩間節の原歌となった「鳩間ユンタ」では、快活な現在の「鳩間節」とは異なり、悲しい島の歴史が歌われていました。当時の八重山諸島では、人頭税という重税が課されていました。鳩間島は隆起珊瑚礁の島で耕作地が少なかったため、鳩間島の人々は対岸の西表島の荒地を開拓して生活をしていました。クリ舟を漕いで畑へ渡るため、一度行けば皆で一生懸命畑仕事に打ち込み、そのおかげで西表島の中でも鳩間の人々の耕作地は最も豊作だったようです。それを見た地元西表の人々に「土地がよかったのだろう」と返還を要求されるようになり、それに憤った鳩間島の人々の思いを、稲や粟を満載して鳩間島に帰ってくる船の情景に合わせて歌ったものであったそうです。
加那ヨー天川 雑踊り
男女の恋を生き生きと表現しており、現在においても高い人気を誇る代表的な雑踊りです。前半の「加那ヨー節」では女性の花染手巾と男性の長巾を交わせ情熱的な愛情を表し、後半の「島尻天川節」では、息もつかせぬほどの三線の速弾きに合わせ、水辺で遊ぶ若い男女の無邪気な様子をおおらかに表現しています。こちらも鳩間節の伊良波尹吉による創作舞踊です。結婚式やお祝いの席でよく披露されます。
四つ竹(踊りくはでさ節)古典舞踊・女踊り
紅型衣装に花笠をかぶり、四つ竹を打ち鳴らし踊るこの踊りは、琉球舞踊の中でも最も優美で豪華絢爛な踊りです。歌詞の中では、「くわでさ(日傘のように広がり影を作る樹)の隙間からまばらに照らす月の光のように 忍んで会いに来てください 四つ竹を打ち鳴らし 今夜は立派なお座敷で舞い遊ぶことができる嬉しさよ」と歌われています。花笠は、蓮の花をモチーフに、海と空を表す青色をあしらって、平和で豊かな沖縄の自然を表しています。黄色の紅型は中国で最も高貴とされた色で、琉球においても首里王府内の正装として用いられてきました。響き渡る四つ竹の涼やかな音色とともに鮮やかな衣装に合わせて優雅に舞います。
貫花 雑踊り
踊り手の首にかけられているレイが「貫花」です。絣の着物から右袖を抜き、手巾を頭に前結びにした姿で踊ります。久米島の白瀬走川に流れている桜を拾い集め、糸に貫き、花飾りを作って愛しい人へ差し上げようという、乙女心を表現しています。曲は2部構成で、前半の武富節では桜を拾い集め貫花を作る乙女心を表現し、後半の南獄節では四つ竹を打ち鳴らしながら軽快に舞います。
繁昌節 雑踊り
沖縄では、かねてより各地で豊年祝いが行われてきました。豊年祝いでは空手や棒踊りなどが披露されます。琉球舞踊の繁昌節は、その豊年祝いからヒントを得て創作されました。空手の型を取り入れた力強い動きで、「エーキ繁昌、勝る繁盛」と囃子を織り交ぜ踊ります。「エーキ(ウヤキ)」とは沖縄の方言で「何事にも代え難い宝物」「富」「財産」の意味で、豊年豊作を願った踊りです。
花風 雑踊り
那覇の三重城の港から船出する恋人を、人知れず見送る遊女の、別れの切なさをしっとりと表した踊りです。紺地の絣を「ウシンチー」という沖縄独特の着付けで舞います。紺の日傘、白足袋、赤い手巾といった、華美ではない色合いの美しさと踊り手のさみしげな様子に思わず見惚れてしまいます。
大漁節 -たいりょうぶし-
豊漁の喜びをダイナミックに表わした二才踊りで、海の男の心意気を表現しています。
海のチンボーラー -うみのちんぼーらー-
「チンボーラー」とは不格好な形をした貝のことです。
器量の良くない娘とチンボーラーをかけて、面白おかしく表現した踊りです。
獅子舞 -ししまい-
勇壮な二才踊り。手に持つ獅子頭は邪気を払い、幸福を招来します。
相合傘 -あいあいがさ-
相思相愛の男女が、一本の傘に身を寄せ合う相合傘。
あふれだす愛情を唄った演目です。
傘の鳩間節 -かさのはとまぶし-
鳩間島の美しさを唄い、五穀豊穣を願った踊りです。
仲里節 -なかざとぶし-
明治以降の芝居座で創作された作品で、演技をしながら踊ります。
「聞けば仲里は、花の島だということです。
花が咲き出したら、私に一枝ください」という歌意に合わせて、相思相愛の男女の恋を表現します。
揚口説 -あぎくどぅち-
春は桜や梅が咲く季節。老いも若きも連れ添い、籠にいろいろな花を集め舞い遊ぼう。
すがすがしい春に様子を唄った演目です。
黒島口説 -くるしまくどぅち-
八重山にある黒島の農民たちのおおらかな気質と豊かな自然を、はやしを口ずさみながら明るくダイナミックに表現しています。
前の浜 -めーぬはま-
那覇港北岸に風光明媚な所で、対岸までの渡し船の風情や、飛び交う浜千鳥を称えた二才踊り。
黒紋服に白のうけはちまき、白黒脚絆、白足袋で踊ります。
空手の技法を取り入れており、若者の凛々しい姿が力強く表現されています。
兄弟小 -ちょうでいぐゎー-
「いちゃりば兄弟(ちょうでぇー)」と唄われるこの唄は、「出会えば皆兄弟。何の隔てがあろうか、仲良くしよう」という沖縄人のおおらかさを表したもの。
後半は空手を取り入れ、勇壮に踊ります。
太鼓ばやし -たいこばやし-
一人はバチを、もう一人は締め太鼓を持ち、二人一組で踊ります。
沖縄の伝統行事である「エイサー」をモチーフに創作されており、ユーモアあふれる賑やかな踊りです。
松竹梅 -しょうちくばい-
松は常盤なる木で、長寿や慶賀を表します。
竹は素直、誠実を表し梅派を華美表します。
新年に相応しい祝儀舞踊です。
日傘 -ひがさ-
昭和初期に振り付けられた創作舞踊で、前半は「花笠節」、後半は「安里屋節」の二部構成となっています。
愛しい人に会いに行く少女の、浮き立つ様子を表現しています。
南洋浜千鳥 -なんようはまちどり-
名優伊良波尹吉が南洋を巡業中に創作したもの。
故郷を懐かしむ浜千鳥の歌詞にのせ、モダンな振り付けがされています。
祝賀の舞 -しゅくがのまい-
おめでたい席で踊るために振付された祝儀舞踊です。
浜千鳥 -はまちどり-
旅宿から見える浜千鳥。
その美しい姿や淋しげな鳴き声は故郷に残してきた恋人を思い出させます。
明治時代、和歌の影響を受けた琉歌に振りつけた伝統的な雑踊りです。